『2001年度 日本語教育学会秋季大会 予稿集』 p211-p212

 

2001年度 日本語教育学会秋季大会(2001/10/7 立命館アジア太平洋大学)

 

海外における日本語アクセント教育の現状

磯村 一弘(国際交流基金日本語国際センター)

 海外で日本語を教えるノンネイティブ日本語教師を対象に、日本語アクセント教育に関するアンケート調査を行った。回答は、46カ国の計216人の教師から得られた(2001年8月現在。大会発表時までにはさらに追加される予定である)。その結果、全体的な傾向は磯村(2000)で報告した予備調査の結果とほぼ同様であったが、中国など独自の特徴を見せる国もあった。

1.日本語アクセントに関する知識

 はじめに、日本語アクセントについて、自国で(日本に来る前に)どのぐらい知っていたかを聞いた。その結果、日本語にアクセントがあることはほとんど全員の教師が知っていた。また「飴」と「雨」など意味を区別する単語があること、アクセントは地方によって違うことなど、日本語アクセントに関する概論的な知識は持っている者が多かった。その反面、平板型と尾高型の区別や、「する/くる」や「食べる/食べた」がそれぞれアクセントの型が違うこと、マス形のアクセント型がみな同じであること、また複合語になるとアクセントが変化することなど、個々の語に関する具体的な知識に関しては、知っていた者が少なかった。

2.自国で使っていた教材にアクセントの記号が書いてあったか

 次に、自国で使用していた教科書や辞書に、アクセントを示す記号が書いてあったかどうかを聞いた。結果は、多くの国では「全然書いてなかった」という回答が5〜8割で最も多く、次に「見たことはある」という回答であり、「書いてあった」という回答は概ね2割以下と少なかった。
 その一方、中国では教材に「書いてあった」という回答が8割を越え、中国の教材ではアクセントの表示が一般的であることがわかった(方式は、@Aなどの丸数字式)。またタイでは比較的新しい教科書でアクセントについて扱われており、割合は他の国よりも比較的高かった。

3.学生にアクセントを教えているか

 「教えている」と答えた教師が中国では9割近くにのぼり、タイでは約半数であったが、それ以外の国では「教えていない」という教師が6〜7割であった。教えていない教師にその理由を聞いたところ、「自分が知らないから」「自信がないから」という理由が最も多く、これに続いて「教科書に書いていないから」「試験に出ないから」「時間がないから」などであった。「アクセントは大切ではないから」など積極的理由で教えていない者は少なかった。また「アクセントを教えるのは日本人の仕事だから」という理由が高い国もあり(インドネシア、オーストラリアなど)、自分の苦手なアクセント教育を日本人教師に任せているという状況もうかがえる。

4.アクセントに関する、教師としてのビリーフ

 まず理想や希望として「できれば正しいアクセントで話したい」「アクセントは大切だ」「学生にアクセントを教えたい」と考えている教師は多く、また同時に「コミュニケーションができれば正しいアクセントで話す必要はない」「アクセントは地方によって違うので覚えなくてもいい」「アクセントの違いによる発音の違いは少しだけなので、あまり気にしなくてもいい」などの、しばしば聞かれる否定的意見については、賛成する者は国を問わず少数であった。このことから、海外の教師は日本語アクセントの習得やその教育について、高いモチベーションを持っていることがわかった。なお、海外の教師は東京アクセントへの志向が極めて高かった。
 一方で、「自分のアクセントに自信がない」「正しいアクセントで発音するのは難しい」「アクセントの違いを聞き取るのは難しい」という困難さを多くの者が感じていた。ただし、中国の教師はこうした回答が少なかった。
 アクセントの教育に関しては、「教科書/辞書にアクセントの記号を書くべきだ」「アクセントは最初から教えるべきだ」「もっと早くから習っていれば今より上手だった」と考える者が多く、学習初期からのアクセント指導を望んでいると言える。これはまた、自分が受けてきたアクセント教育への改善の希望であるとも言えるだろう。

5.まとめと今後の課題

 アンケートの結果から海外のノンネイティブ教師は、アクセントを教えるべきだと思っているが、自分のアクセントに自信がないために教えたくても教えられないという状況が見て取れる。
 これまでの海外における日本語教育では、アクセントの教育が十分であったとは言い難い。そのため、習う側のモチベーションは高いにもかかわらず学習者としてその教育を十分に受けることができず、よって教師になってからも自分で必要性は感じていても教えることができない、という悪循環に陥っている。これはアクセントのことをきちんと教えなかったり、教材にアクセントを付してこなかった我々教師の責任が大きいと思われる。こうしたことは、その場の苦労は軽減することはできても、結局アクセントについて正しく学ぶ機会を奪っていることに他ならず、学習者に(決して自ら選択したわけではないのに)後から取り返しのつかない苦労をさせる結果となっている。
 従って、まず学習初期の段階からのアクセント教育を徹底させることが必要であろう。中国の例が示すように、教材にアクセントの記号を付し、日本語に触れる最も初期の段階からアクセントによる韻律の違いを意識させれば、アクセントの習得は現在よりも容易になり、悪循環を断ち切る可能性も出てくると思われる。全ての学習者にアクセントの学習を押しつけるのではなく、学びたいという学習者から学ぶ機会を奪わないような環境を整備していくことが必要であると言えよう。またこれと同時に、これまでの犠牲者とも言うべき、アクセントを意識しないまま多くの単語を身につけてしまった学習者/ノンネイティブ教師がアクセントを学び直すための教材の開発も急がれる。

磯村一弘 (2000) 「海外のノンネイティブ教師から見た日本語音声教育−語アクセントの教育を中心に−」
第2回日本語音声教育方法研究会 (於:国立国語研究所)