『日本語国際センター紀要 第6号』 (1996、国際交流基金日本語国際センター) p1-p18
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[キーワード] | アクセント型の区別、韻律指導、イントネーション、目標言語 |
[目次] |
1.はじめに 2.目的 3.方法 4.手順 4.1.被験者 4.2.発話資料 4.3.指導の内容 4.4.録音手順 4.5.分析方法 5.結果 5.1.韻律指導前の発音 5.2.韻律指導後の発音 6.考察 7.まとめと今後の課題 文献 図表 |
日本語学習者のアクセント、イントネーションについては、これまでにも比較的多くの研究がなされてきた(大西1977,1990、土岐1980、本堂1989、閔1989など)。特に、1990〜93年の文部省重点領域研究『日本語音声』において、鮎澤他(1991)、鮎澤(1992)による日本語の韻律の研究を基礎として、様々な言語を母語とする日本語学習者について、そのアクセント、イントネーションなどの韻律的特徴の傾向が、母語の干渉という観点から数多く報告された(宇田川1991、金1992、坂間他1991、泉水1992、陳1992、土屋(順)1992、土屋他1991、土屋(千)1992、轟木1992、中川他1993、中川他1994、新田1992、福居1992、法貴1994、山下1993、楊1993など)。一方、山田(1994a,1994b,1995)においては、中間言語という立場から、アクセントの生成において、学習者が共通して用いる中間言語ストラテジーについて、報告がなされた。
これらの研究においては、外国人学習者が日本語の韻律を正確に習得するためには、日本語の音韻的アクセントを正しく習得することが必要であることが、しばしば言及されてきた。楊(1993)では、アクセントの学習環境が話者の発音に影響することを述べ、早期からのアクセントの学習が必要であることを訴えている。また、鮎澤(1993a,1993b)においては、学習者の日本語疑問文のイントネーションの習得をいくつかの段階に分けているが、ある段階以上に進むためには語彙レベルのアクセント型を習得していなければならないことが指摘されている。
しかし、これまでの研究においては、アクセント型ごとに話者の発音の分析がなされているにもかかわらず、学習者が単語のアクセント型を音韻レベルで理解して発音しているかどうか、すなわち、それぞれの単語についてそのアクセント型を認識しており、異なるアクセント型の単語は区別して発音しようとしているのかという、話者の意識については、助川(1991)などを除いては、ほとんど考慮されてこなかった。また、そもそもその学習者が、日本語のアクセントは高低で実現され、単語ごとに異なるという事実を知っているかということも、調査されていなかった。
例えば、「ねこ?−ねこです。/いぬ?−いぬです。」という文において、これをある日本語学習者が、アクセント型の違いを意識しないで、両方とも「低高?−高低です。」という韻律の形で発音したとする。このときの表面上の分析結果は、「疑問文では尾高型はできているが、頭高型はできていない。一方、平叙文では、尾高型はできていないが頭高型の語は正しく発音できる」となってしまうであろう。先行研究においても、話者の「正用」が、日本語のアクセント型と話者の母語の韻律との偶然の一致による可能性がいくつか示唆されている。このような結果は、話者が異なるアクセント型の単語を区別して発音しようとしたにも関わらず同様の韻律の形になった場合のものとは意味が異なり、区別して解釈していく必要があるだろう。
こうした問題点については、林(1994)においても指摘されている。そこでは、学習者のアクセントについて、次のような四つのケースを挙げている。
ケース1:学習者は語アクセントの型が分からずに自分で試行錯誤するか、母語にあるパターンを流用する。
ケース2:学習者は語アクセントの型を分かってはいるがうまく発音できない。
ケース3:ケース1の結果、たまたま日本語のパターンと一致して、うまく発音しているかのように見える。
ケース4:学習者は語アクセントを分かっており、うまく発音することもできる。
(林 1994,413-412)
林の実験においては、学習者に課されたタスクが「母語話者の模倣」というものであった。すなわち、母語話者による発音を後からまねていうことによって、学習者の発音における、アクセントやイントネーションなどの韻律が、どのように変化するかを調査したものであった。しかし、こうしたタスクにおいては、学習者が理論的にアクセント型の違いを理解した上で発音しているかどうかは依然不明のままであろう。外国人学習者による日本語のアクセント型の聞き取りの困難さは、植田(1995)、荒井他(1995)などでも報告されており、文の韻律の形をそのまま模倣することが、アクセント型と韻律との関係の理解につながるとはいえないであろう。
このことは、文全体の韻律曲線を正確に示して、これに基づいて発音させるというタスクについても言えよう。例えば、串田他(1995)では、音響的に抽出した文の基本周波数の曲線に基づいた「プロソディーグラフ」を与え、これを手がかりとして読んだときの学習者の韻律が、音韻的な核の表示を示したテキストを読んだときよりも、向上することを報告している。
しかし上記のような二つのタスクは、ある与えられた文を正しく発音するための練習に対しては有益であろうが、無限に存在する新しい文を正しい韻律の形で産出できるようにするためには、限界があると思われる。実際、日本語の文を、正しい韻律の形で自分で自由に産出できるようになるためには、おそらく次のようなステップが必要となるであろう。
1:日本語の語アクセントのパターンについて理解し、音韻的なアクセントと、その語が単独で発音されたときの韻律の形との対応を習得する。
2:日本語の文のイントネーションについて、基本的な決まりを習得する(疑問文では最後の拍で上昇する、語にプロミネンスが置かれない場合上昇はおさられる、など)。
3:語のアクセントと文のイントネーションとを総合的に判断し、それぞれのアクセント型について、イントネーションの置かれた文脈の中で、正しく実現できる。
4:未知の語についても、辞書などでアクセント型を調べれば、文の中で正しい韻律の形を実現できる。
以上のようなことを考えると、外国人日本語学習者が日本語の韻律を正しく産出するには、まず日本語のアクセントのしくみについて、すなわち、日本語の語アクセントが基本周波数の高低によること、語アクセントは弁別機能を持ちそれぞれの語について一つ一つ記憶する必要があること、異なるアクセント型を持つ語同士は実現した際の韻律の形も異なり、区別して発音しなければならないということなどを、理論的に身につけておくべきであると言える。
こうしたアクセントに関する教示により、学習者の発音は、語のアクセント型を意識しないで発音していたときと比べて、どのような変化を見せるのか。これを調べることによって、日本語のアクセントに関する知識が学習者の発音に与える影響を考えていくことができるだろう。そしてこのとき、それぞれの語のアクセント型の違いを区別しようとしている学習者は、この韻律の差をどのように実現するのか、あるいはどの程度まで実現できるのかということを、調べていく必要があるだろう。また、異なるイントネーションの置かれた文脈の中においてこの語アクセントの違いを実現しようとするとき、話者の発音はどのようになるか、どのような点が最も実現が困難か、などといった点に関しても、見ていくことが必要であろう。
助川(1991)は、インドネシア人の日本語アクセントについて、アクセント表記のない語彙リストとアクセント表記のある語彙リストによる発音を比較し、アクセント表記を示すことで話者のアクセントの正答率に向上が見られることを報告している。しかし、この研究は、話者が日本語のアクセント型をどう意識化し、それにより話者の発音が具体的にどう変化するか、あるいは異なるアクセント型をどう区別するかなどについて述べたものではない。また、この研究では発話資料に語彙リストを用いており、イントネーションとの関係には触れられていない。谷口(1995)では、テープおよび韻律表示を施した印刷教材を用いて学習者に韻律指導を行い、学習の効果が得られたことを報告している。この研究では、具体的な話者の発音についてはほとんど触れられておらず、また発話時に話者が正しいアクセント型を認識していたかどうかは問われていない。ゆえに、これらの観点について、研究を進めていく余地があるといえよう。
また、『日本語音声』において共通に用いられた会話文では、調査対象とする名詞の現れる環境が、「B:あれは[ ]。/A:
[ ]?/B:そう。[ ]。[ ]の写真。」というものであった(鮎澤他 1991)。そこにおいては、当該の名詞の置かれる環境が、文末、および助詞「の」の前であり、ゆえに平板型と尾高型の発音の違いについては調べることができなかった。助川の論文においても、平板型と尾高型は全く区別されていなかった。しかし、外国人学習者による日本語アクセントの発音を調査する場合には、この二種類の異なるアクセント型の違いの実現についても、見ていく必要があるだろう。
本稿の目的としては、まず外国人日本語学習者に対する日本語の韻律指導に関して、日本語のアクセント、イントネーションに関するこうした知識が話者の発音に与える影響について調べる。
さらに、外国人学習者が語アクセントの型の違いを意識し、これを実現しようとした場合、学習者の発音がどのような傾向を見せるのかについて見ていく。特に、どのくらいまで母語話者に近くアクセント型の違いを区別できるのか、また平板型と尾高型の違いも含め、どの型の実現が特に問題となるのかなどの点について、文のイントネーションの問題と合わせながら考えていく。
外国人日本語学習者に対して、日本語の語アクセントのしくみ、イントネーションのしくみ等の、日本語の韻律に関しての指導を行う。この韻律指導前の、アクセント型については何も言及しないまま読んでもらった発音と、指導後の、名詞のアクセント型を参照しながら読んでもらった発音とを比較し、どのような点で異なるかを検討していく。
また指導後の発音に関して、異なるアクセント型の名詞について、その韻律的特徴の差を聴覚的、音響的に観察し、アクセント型の違いをどの程度まで理想の発音に近く実現しているか、どの型の実現が困難であるかについて、調べる。また、一つの名詞をそれぞれ平叙文、疑問文の文脈で出すことによって、イントネーションとの関係も見ていく。
被験者は、以下の13名であった。全員、日本語教師であり、外国人日本語教師を対象とした約二ヶ月にわたる研修のために来日中であった。
ENM01 | ENM02 | ENM03 | ENM04 | ENF01 | ENF02 | ENF03 | |
母語 | 英語 | 英語 | 英語 | 英語 | 英語 | 英語 | 英語 |
性別 | 男 | 男 | 男 | 男 | 女 | 女 | 女 |
年齢 | 54 | 48 | 38 | 44 | 27 | 36 | 35 |
出身 | アメリカ | アメリカ | アメリカ | アメリカ | アメリカ | アメリカ | カナダ |
RSF01 | RSF02 | UKF01 | PLF01 | SPF01 | MLF01 | |
母語 | ロシア語 | ロシア語 | ウクライナ語 | ポーランド語 | スペイン語 | マラガシ語 |
性別 | 女 | 女 | 女 | 女 | 女 | 女 |
年齢 | 37 | 43 | 38 | 26 | 35 | 43 |
出身 | ロシア | ウズベキスタン | ウクライナ | ポーランド | ペルー | マダガスカル |
被験者に読んでもらった発話資料は、全て、次のような会話のフレームに、アクセント型の異なる二拍の名詞を入れ替えたものであった。
これはなに?[ ]?−ええ、[ ]です。
名詞は、特殊拍を含まず、また連母音にならないよう二拍目が必ず/CV/となるような構造を持った、比較的初級レベルの語彙から選択した。
アクセント指導前の録音では、この[ ]に尾高型「犬」、頭高型「猫」、平板型「鳥」の順で入れたものを使用した。テキストは全て平仮名で書かれ、アクセント型の記号等はいっさい示さなかった。これを、テキストA-1とする。
テキストA-1 |
これはなに?いぬ?−ええ、いぬです。 これはなに?ねこ?−ええ、ねこです。 これはなに?とり?−ええ、とりです。 |
指導後に用いたテキストは、まず指導前のテキストA-1に、単語のアクセント型と、練習のための大まかな韻律の曲線を示したものであった。これをテキストA-2とする。
テキストA-2 |
次に、テキストAとは異なる単語を用い、文には何も書かないが、その横に単語のアクセント型を示したテキストを読んでもらった。単語のアクセント型の表記法には、研修で使用した阪田他(1995)の辞書における表記法を用いた。単語は、尾高型「馬、足」、頭高型「雨、傘、駅」、平板型「飴、星、椅子」で、これを前述の会話フレームにあてはめたものをランダムな順で並べたものであった。 また、それぞれの文の横にはその単語の意味を表したイラストを示した。これをテキストBとする。
テキストB |
日本語のアクセント、イントネーション等の韻律に関する指導は、一回目の録音の後およそ二〜三週間後、「発音個別指導」として、一人ずつ録音スタジオに来てもらって行った。時間は、韻律以外の単音の指導などを含めて、一人約10分づつ行った。
指導の内容としては、まず日本語アクセントが音の高低によることを説明した。その後、単語のアクセントはそれぞれ違い、一つ一つ覚えなければならないことを述べ、単語のアクセント型と実際の高低を、テキストAの平叙文を使って練習した。また、このとき辞書のアクセント表記の見方も指導した。
それから、疑問文のイントネーションについて、日本語では疑問の時、最終拍で上昇があることを述べ、テキストAの疑問文を使って練習した。特に、二拍の頭高型名詞の疑問文の場合、アクセントによって高から低にいったん下がってから上昇する、高低という韻律の形になることを、説明し、練習した。
録音は、一回目、二回目とも、一人ずつ録音スタジオに来てもらって行った。まず韻律指導前の第一回目の録音を、テキストA-1により行った。そしてその後、およそ二〜三週間の後、録音スタジオで一人ずつ韻律に関する指導行い、テキストA-2を使って練習を行った。その直後にテキストA-2とテキストBにより、第二回目の録音をとった。
指導前の録音の際のテキストA-1、および指導後の録音の際のテキストBは、あらかじめ練習させなかった。全ての文を一回ずつ読んでもらったが、本人が繰り返して読んだ場合は、その全てを分析の対象とした。
録音に使用したテープレコーダーは、SONY TC-D5 PRO II、マイクは、SONY F770であった。
録音をテープレコーダーにより再生し、これを聴覚的な印象により高低を判断して分析を行った。またこれと平行して、「音声録聞見」(今川他 1989)により、基本周波数の曲線を抽出し、これを観察した。また必要に応じて、音声波形やインテンシティーのグラフなども用いて、分析を行った。
初めに、指導前の録音をもとに、そこにおける学習者の発音の韻律的特徴を見ていくことにする。まず、テキストA-1の平叙文「[
]です。」について見ていく。
日本語母語話者の場合は、頭高型の「猫です」では「ね」が高く、後の拍からは低くおさえられる。尾高型の「犬です」では、「いぬ」の部分で「低高」となった後、「です」で下がる。平板型の「鳥です」では、「とり」で「低高」となった後、そのまま下がらずに「です」に続く。
音声録聞見による母語話者のピッチ曲線を図1に示す(発話者は東京出身の20代女性)。そこでは、頭高型では声立てのわずかな上昇の後急激に下降し、尾高型では中央部が盛り上がった山の形になり、平板型ではほとんど平らなまま終わっているのが観察できる(平板型に「です」がついた場合、音韻的には「で」から「す」へ下降があるが、「す」の母音が無声化しているため、この下降は現れていない)。
外国人学習者の発音の場合、ほとんどの話者においては、名詞のアクセント型に関係なく、「高低です(「です」も低)」という、一拍目のみが高い形で発音されていた。したがって、頭高型の「猫です」の韻律は日本語として正しいものと感じるが、尾高型、平板型の「犬です」「鳥です」の場合は、誤った韻律の形として聞かれた。
代表として、ENF02のピッチ曲線を図2に示す。そこでは、「猫、犬、鳥」の全ての場合において、アクセント型にかかわりなく、文頭から文末への下降という同様の曲線を示しているのがわかる。
例外として、次の4人の話者では、名詞によっていくつかの異なった韻律の形が用いられていた。ENF03では、「鳥です」の平板型が実現されていた。またRSF01では「犬です」「鳥です」が、SPF01では「犬です」が、「高高で(低)す」という形で発音されていた。ENM01では、「猫です」が「低高で(低)す」というパターンで発音されていた。なおこれ以外の名詞については、全て「高低です」のパターンであった。
次に、疑問文のイントネーションが置かれた場合の発音について見ていく。母語話者の場合、二拍の平板型、尾高型の名詞が疑問イントネーションで言われた場合、低高のアクセント型の二拍目の高の部分で上昇が加わる。頭高型の場合は、「高低」としていったん下降した後、疑問のイントネーションによって二拍目の中で再び上昇する「高低」という形になる。このピッチ曲線を、図3に示す(発話者は図1と同じ)。頭高型の疑問では、一度下降してから再び上昇するのが観察できる。平板、尾高型ではともに、二拍目の文末の上昇が見られる。なお、日本語の疑問文イントネーションについては、鮎澤他(1991)、鮎澤(1992)に詳しい。
外国人学習者の疑問文の発音では、平叙文の場合と同様、名詞のアクセント型の違いで韻律の形を区別しているものはほとんど見られなかった。ほとんどの話者は、アクセント型にかかわらず、全ての名詞を同じ韻律の形で発音していた。
最も多くの学習者が、全ての名詞を「低高?」という形で発音していた。このような話者は、ENM02、ENM04、ENF01、ENF03、PLF01であった。このうちENM04のピッチ曲線を図4に示す。これを見ると、全ての単語が同様の上昇調で発音されているのが観察できる。このような場合、平板、尾高型に関しては、正しい日本語の疑問文として聞こえるが、頭高型の場合のみ不自然になる。
ENM01、RSF02では、全ての単語が上昇を伴わない「高低」という形で発音されていた。図5に、RSF02のピッチ曲線を示す。この場合、平板、尾高型はアクセントが間違って聞こえ、頭高型の場合も、アクセントは正しいが疑問には聞こえないものであった。また、MLF01の場合は、上昇調を伴った「高低」の韻律をもって全ての語を発音していた(図6)。この場合は頭高型であれば正しい韻律の形に聞こえるものであった。
疑問詞「何」だけを、他の名詞とは異なる韻律の形で発音している話者も、何人か見られた。UKF01とSPF01は「何?」は上昇を伴わない「高低」で、それ以外の名詞は全て「低高」で発音されていた。逆に、ENF02では「何?」のみが「低高」で、それ以外の全ての名詞が「高低」で発音されていた。
単語によってその韻律の形に何らかの違いがあったのは、ENM03とRSF01だけであった。ENM03では「ねこ?」のみが「高低」の形、「何?」を含むそれ以外のものは全て「低高」の形であった。RSF01では、「何?、猫?」が「高低」で、「犬?、鳥?」は「高高」のような形で発音されていた。
アクセント、イントネーションなどの韻律に関する指導を行った後、語アクセントの記号を参照しながら発音した場合の話者の韻律は、指導前の録音のものとは様々な点で異なるものであった。特に、名詞によって異なる韻律のパターンを用いるようになるのが、程度の差はあるものの、全ての話者において観察された。このときの学習者の発音には、次のようないくつかの傾向が見られた。それぞれの学習者がどの傾向を示すかは、個人によって異なった。
まず、ほぼ母語話者と同じような韻律の形によって、アクセント型の違いを区別している場合である。RSF02、PLF01、MLF01では、平叙文では頭高型、尾高型、平板型の区別が音の高低によって正しくつけられていた。また疑問文においても、頭高型とそれ以外の型の区別が実現されており、頭高型の疑問文の「高低」という韻律の形も習得されていた。図7として、PLF01による、テキストBからのグラフを示す。
ただし、この三名の話者の場合では、自分が正しいと思う韻律形を実現するまで何回か言い直すという場面がしばしば見られた。また、RSF02の場合は、音の高さを意識するあまり、それぞれの拍の長さが長めになり自然性が損なわれるという弊害もあった。
次に、アクセント型の異なる名詞に対して異なる韻律がつけられてはいるが、その区別の実現が不十分であるというものである。これは、正しい韻律で区別されていないのは一部の語だけであるという段階のものから、ほとんど区別が実現されていない中である語に関してだけは他から区別されているという段階のものまで、様々であった。
ENF01、UKF01、SPF01では、平叙文において、頭高型の名詞では、「高低で(低)す。」という形が実現され、他の平板・尾高型とは区別されていた。しかし、平板型と尾高型は両方とも「低高で(低)す」という形になり、平板型の「低高で(高)す」という形が実現できていないため、両者の区別がつけられていなかった。例えば図8で示すENF01の発音では、平板型の「飴です」「星です」においても、「足です」と同様の、中央が盛り上がった山形のピッチの動きが見て取れる。
ある型の名詞の中で、そのうちの一部のものだけが、正しく発音されて他から区別されるようになるという場合もあった。SPF01では、頭高型の語の疑問文において、「猫」と「雨」は依然「低高?」であったが、それ以外の「何」「傘」「駅」では、「高低」という形が実現されていた。ENM03では、平叙文では依然としてほとんどが「高低です」の形であったが、「犬」「鳥」「足」においてのみ、「低高で(低)す」となり、他と異なる韻律で実現されていた。ただし、「鳥です」の平板型の韻律は習得されていなかった。疑問文ではしかし、「雨?」を除く全ての頭高語で「高低」の形が実現されており、他の型との区別がつけられていた。ENM02は、平叙文では依然全てを「高低です」で読んでおり、疑問文でもほとんどがやはり「低高?」の形であったが、「何?」と「雨?」についてのみ「高低」の形が実現され、他と区別されていた。
異なるアクセント型の韻律の違いが、音の高さ以外の韻律的特徴によってつけられている場合もあった。ENM04、ENF01、UKF01においては、特に疑問文において、高さでは全てが「低高」となっているが、その母音の強さや持続時間などを調べると、頭高型の名詞と尾高・平板型の名詞との間には、一拍目と二拍目の相対的関係に違いが見られた。
図9は、ENF01による「雨?」と「飴?」のグラフである。これを見ると、ピッチの変化はほとんど同様の上昇調を示しているが、音声波形の振幅は、「雨?」では「あ」の振幅の方が「め」のそれより大きく、「飴?」では逆に、「あ」の振幅よりも「め」の部分の振幅の方が増大しているのが見て取れる。持続時間の観点から見ても、「雨?」では/a/の持続時間が長く、一方「飴?」では/e/の持続時間の方が相対的にのびているのがわかるであろう。
ENM04、UKF01の疑問文の発話においても、同様の現象が見られた。またENM04では、平叙文においてもこの傾向が見られた。ENM04は、「鳥です。」を読む際、一度発音した後、すぐに自分から言い直してもう一度言っている。言い直しの前後の発音とも、高さに関しては「高低です」であったが、言い直した後の発音では、「とり」の「り」の長さがのび、日本人の耳には「トリーです。」のように聞こえるくらいのものであった。
これらの話者の発音においては、アクセント型の違いを区別しようとする際、日本語母語話者が用いている「高さ」以外の韻律的特徴を使っていると言える。
第四の傾向として、韻律指導後、学習者は異なる様々な韻律のパターンを習得し、これを色々と使ってみるが、アクセント型に合った正しい形を選択することができない、というものである。
ENM01では、平叙文では「高低です」および「低高で(低)す」、疑問文では「低高」「高低」という、それぞれ二種類の韻律の形を習得するが、これをアクセント型とは関係なく用いている。例えば「雨です」に「低高で(低)す」、「犬です」に「高低です」の形を用いたり、「駅?」に「低高?」、「馬?」に「高低」の形を用いたりしており、これまで用いていなかった韻律パターンを使うようになったにもかかわらず、語のアクセント型に合ったものを使ってはいない。
ENF03は、平叙文では、「雨」「馬」「傘」なども含め、ほとんどの語を平板型のように「低高で(高)す。」の形で発音していたが、「鳥です」には「高低です」、「飴です」には「低高で(低)す」の型を用いていた。また疑問文では、「猫?」「傘?」「駅?」には「低高?」の形を用いていたにもかかわらす、「星?」を「高低」の韻律パターンで発音するなど、韻律の形をうまく使い分けてはいなかった。
ENF02、RSF01においても同様の傾向が見られた。ENF02では、平叙文は依然として全て「高低です」と発音されていたが、疑問文では「高低」と 「高低」、「低高」が、名詞のアクセント型に関係なく現れた。例えば、「犬?」には「高低」が用いられる一方で、「雨?」には「低高」が用いられるなどであった。RSF01では、平叙文には「高低で(低)す」「低高で(低)す」「高高で(低)す」のパターンが名詞のアクセント型とはかかわりなく現れ、
疑問文には「低高」と「高低」の二種類が、やはりアクセント型とは関係なくつけられていた。
また、テキストに繰り返し現れる「何?」の韻律を見ると、他の話者においては、同一個人内では全ての「何?」が共通の韻律形で発音されていたのに対し、RSF01では「低高」と「高低」という二種類のパターンが、「何?」にランダムに置かれていた。
韻律指導前の学習者の発音では、少数の例外をのぞき、ほとんどの話者ではすべてのアクセント型を共通の韻律の形で発音していた。これは、学習者がアクセント型の違いを意識せず、すべてを同様のパターンで発音したためであろう。このとき、文における音の高低にはイントネーションのみがかかわっているといえる。
疑問文で「何?」だけを区別していた話者もあったが、この場合もアクセント型の異なる名詞の間では、ほとんど区別が見られなかった。疑問詞か普通名詞かによってパターンを変えている可能性は考えられるが、アクセントの型による区別ではないだろう。
ゆえに、平叙文では頭高型の「猫です。」が、疑問文では尾高、平板型の「犬?」「鳥?」が、表面的には正しく聞こえることが多かったが、これはイントネーションとアクセント型の偶然の一致の結果であり、アクセント型ごとに正答率を論じるのは意味が少ないといえよう。
このような学習者に対して日本語の韻律に関する指導を行い、アクセント型の違いを意識させると、語のアクセントも文の韻律にかかわることが意識化され、異なるアクセント型の違いを異なる韻律パターンで実現しようとするようになる。この時の学習者の発音の傾向は、大まかに次のように分類できるであろう。
a.ほぼ母語話者に近い韻律の形でアクセント型の違いを区別できる。
b.アクセント型の違いを区別しようとするが、不十分である。
c.母語話者とは異なる方法で、アクセント型の違いを実現しようとする。
d.異なる様々な韻律の形を使ってみるが、アクセント型に合ったものを選択できない。
aの傾向を示す学習者の場合、韻律のしくみを理論的に教えただけで、即座に正しい高低が実現できる場合もあることが示唆された。ただし、言い直しをしたり、拍の時間が不自然になるなど、高さ以外の面をある程度犠牲にすることによって、正しい高さのパターンを実現しているとも考えられる。
意識はしているが、必ずしも全ての発音の区別に成功していないのが、bの場合であろう。しかし現在一部の区別を実現できていることを考えると、一層の訓練により正答率が向上していく可能性も考えられるであろう。
また、アクセント型について見てみると、平叙文における平板型と尾高型の発音の区別が実現できていない話者が多かった。後続の語の続き方によって初めて差が現れるというこれらのアクセント型の区別は、学習者にとっては最も困難が多いものと思われる。
cの場合、アクセント型の区別を表す際、おそらく母語の影響から、「強さ」「長さ」などの、「高さ」以外の韻律的特徴を使って語アクセントの違いを実現しようとしているものであろう。この時、高さは主にイントネーションを表すのに使われている。しかし、日本語では語アクセント、イントネーションの両方に「高さ」がかかわっており、語アクセントの型の違いも高さで表さなければならない。この点、アクセント型の区別に母語話者が用いる方法とは異なっており、今後は高さによる実現を求められるだろう。
dのタイプの話者の場合、様々な韻律のパターンを習得してはいるが、その語のアクセント型にあった韻律形を正しく選択できないものと考えられる。話者はアクセント型の違いによって韻律パターンを変えなければならないことを意識しているが、語によって色々なパターンを試行錯誤しており、アクセントの型と韻律の形とを結びつけることができない段階であると思われる。
以上のいずれの場合においても、これまでアクセント型の違いをほとんど意識していなかった話者が、型による違いを表そうと努めるようになったといえよう。アクセント型の意識化が、これまでよりもより日本語の正しい韻律へと近づくきっかけになっていると言うことができるであろう。
韻律指導前においては、学習者は目標とすべき音声を正確には把握していなかったが、指導の後では、アクセント型の区別やイントネーションとの関係など、理想とすべき韻律の形をより意識化したと思われる。今回の実験では、母語話者と同様の韻律パターンを完全に実現している学習者はいなかったが、かなりのレベルまで近づく者は見られた。理想の発音を意識化したことにより、継続して練習を行えば、目標言語の発音に向かって近づいていくことが期待できるであろう。
今回の実験では、これまでアクセント型の違いを実現していなかった学習者が、アクセント型の違いを意識し、この実現法をイントネーションとともに練習したことにより、型の違いを韻律によって区別しようとするようになるのが見られた。この段階や方法は、話者により様々であったが、全体としては、以前より正しい韻律に近づく方向を示した。
従って、外国人日本語学習者が正しい日本語の韻律を習得するためには、韻律に関する理論的知識を得て、目標言語の音声を明確に意識化することが有益であるということが示唆された。
今後の課題として、まず今回は学習者の母語との関係は論じなかったが、特定の言語を母語とする学習者の発音を、目標言語である日本語と、話者の母語との関係という点から、目標言語の音声の意識化の有無と関連させて研究していくことが可能であろう。また、より長期的な韻律指導によって、学習者の日本語の韻律がどのように変化していくかについても、見ていく必要があるだろう。
鮎澤孝子(1992) 「日本語の疑問文の韻律的特徴」『日本語の韻律に見られる母語の干渉(2)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班平成3年度研究成果報告書、1-20
鮎澤孝子(1993a) 「日本語学習者のイントネーション−日本語疑問文のイントネーションの習得」『国際化する日本語−話し言葉の科学と音声教育−』第7回「大学と科学」 公開シンポジウム予稿集、44-45
鮎澤孝子(1993b) 「外国人学習者による日本語の質問文イントネーションの習得過程」 『日本語音声と日本語教育』「日本語音声」D1班平成4年度研究成果報告書、161-186
鮎澤孝子、谷口総人(1991) 「日本語音声の韻律的特徴」『日本語の韻律に見られる母語の干渉−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班平成2年度研究成果報告書、1-24
荒井雅子、西沼行博(1995)「アメリカ人日本語学習者による東京語アクセントの知覚」 『平成7年度日本音声学会全国大会予稿集』46-51
今川博、桐谷滋(1989) 「DSPを用いたピッチ、フォルマント実時間抽出とその発音訓練への応用」『電子情報通信学会技術報告』sp89-36、17-24
植田栄子(1995) 「タイ語母語話者の日本語アクセントの知覚と生成の特徴〜効果的な韻律教育に向けて〜」『平成7年度日本語教育学会春季大会予稿集』、103-108
宇田川洋子(1991) 「インドネシア人日本語学習者の日本語に見られるインドネシア語の韻律の干渉」『日本語の韻律に見られる母語の干渉−音響音声学的対照研究−』「日本 語音声」D1班平成2年度研究成果報告書、72-99
大西晴彦(1977) 「タイ人のアクセントに関する若干の考察」『国際学友会日本語学校紀 要』2号、24-44
大西晴彦(1990) 「韓国人の日本語のアクセントについて」『国際学友会日本語学校紀要』 15号、52-60
金仁和(1992) 「韓国人学習者の日本語の韻律における母語の干渉−文レベルでの干渉−」 『日本語の韻律に見られる母語の干渉(2)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」 D1班平成3年度研究成果報告書、65-79
串田真知子、城生佰太郎、築地伸美、松崎寛、劉銘傑(1995)「自然な日本語音声への効果的なアプローチ:プロソディーグラフ−中国人学習者のための音声教育教材の開発−」 『日本語教育』86号、39-51
阪田雪子監修、遠藤織枝編集主幹、にほんごの会編(1995)『日本語を学ぶ人の辞典』新潮社
坂間博、松島幸男、新田洋子(1991) 「ドイツ人学習者の日本語に見られる母語の韻律の干渉」『日本語の韻律に見られる母語の干渉−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」 D1班平成2年度研究成果報告書、25-47
助川泰彦(1992) 「インドネシア人日本語学習者のアクセントにおける特殊拍の影響」 『日本語学校論集』18号、東京外国語大学外国語学部附属日本語学校、68-81
泉水浩隆(1992) 「スペイン語話者の日本語の韻律に見られる母語の干渉−一語問い返し文を中心として−」『日本語の韻律に見られる母語の干渉(2)−音響音声学的対照研究 −』「日本語音声」D1班平成3年度研究成果報告書、39-64
谷口総人(1995) 「韻律の学習における異なる表示法の効果に関する実験的研究」『平成7年度日本語教育学会春季大会予稿集』、109-114
陳文止(1992) 「中国語話者による日本語疑問文文末の韻律的特徴」『日本語の韻律に見られる母語の干渉(3)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班平成4年度研究 成果報告書、1-26
土屋順一(1992) 「トルコ人学習者の日本語に見られるトルコ語の韻律の干渉」『日本語の韻律に見られる母語の干渉(2)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班平 成3年度研究成果報告書、81-103
土屋順一、土屋千尋(1991) 「モンゴル人学習者の日本語に見られるモンゴル語の韻律の干渉」『日本語の韻律に見られる母語の干渉−音響音声学的対照研究−』「日本語音 声」D1班平成2年度研究成果報告書、48-71
土屋千尋(1992) 「モンゴル人学習者の日本語韻律習得の過程」『日本語の韻律に見られる母語の干渉(2)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班平成3年度研究成果 報告書、21-38
土岐哲(1980) 「英語を母語とする学習者におけるアクセントの傾向」『アメリカ・カナ ダ十一大学連合日本研究センター紀要』3号、78-96
轟木靖子(1992) 「ベトナム語母語話者の日本語名詞の発話に伴う音調について」『日本 語の韻律に見られる母語の干渉(2)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班 平成3年度研究成果報告書、105-139
中川恭明、中川千恵子(1993) 「フランス人学習者の日本語に見られる母語の韻律の干渉」 『日本語音声と日本語教育』「日本語音声」D1班平成4年度研究成果報告書、123-144
中川千恵子、鮎澤孝子(1994)「スペイン語母語話者の日本語発話における韻律特徴」 『平成6年度日本語教育学会春季大会予稿集』55-60
新田洋子(1992) 「インドネシア人学習者の日本語疑問文に見られる母語の韻律の干渉」 『日本語の韻律に見られる母語の干渉(3)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」 D1班平成4年度研究成果報告書、27-52
林良子(1994) 「日本語・ドイツ語の韻律体系の接触に関する研究」『國學院大學日本文化研究所紀要』74号、422-402
福居誠二(1992) 「デンマーク語話者の日本語の韻律に見られる母語の干渉」『日本語の韻律に見られる母語の干渉(3)−音響音声学的対照研究−』「日本語音声」D1班平成4年度研究成果報告書、81-112
法貴則子(1994)「仏人学習者の日本語発話におけるアクセント・イントネーションの実現」『平成6年度日本音声学会全国大会研究発表論集』119-124
本堂寛(1989) 「日本語教育とアクセント」『日本語教育研究論集』4号、東北大学、108-117
閔光準(1989) 「韓国語話者の日本語音声における韻律的特徴とその日本語話者による評価」『日本語教育』68号、175-190
山下暁美(1993) 「日系ブラジル人学習者の日本語に見られる母語の韻律の干渉」『日本語音声と日本語教育』「日本語音声」D1班平成4年度研究成果報告書、145-160
山田伸子(1994a) 「日本語アクセント習得の一段階−外国人学習者の場合−」『日本語教育』83号、108-120
山田伸子(1994b) 「日本語アクセントのストラテジーと中間言語の形成−外国人学習者の場合−」『音声学会会報』207号、17-24
山田伸子(1995) 「日本語初級学習者のアクセントと中間言語について」『平成7年度日本語教育学会春季大会予稿集』、25-30
楊立明(1993) 「中国語話者の日本語述部の韻律に見られる母語の干渉」『日本語音声と日本語教育』「日本語音声」D1班平成4年度研究成果報告書、103-122