<ヒナステラ「エスタンシア」曲目解説>
●不まじめな曲目解説:ル・スコアール管弦楽団 第7回演奏会(99/12/12)のプログラム冊子より転載(自分で書いたんだからいいのだ)
ヒナステラのエスタンシアだ!
え、どっちが曲名でどっちが作曲者名かわかんないって?それって例えばポルノグラフィティのアポロってどっちが曲名でどっちがグループ名かわからないおっさんみたいだぜ。全然関係ないけどさ、大学オーケストラ時代、OB会の総会だかでワグナーの「マイスタージンガー」と「ローエングリン」を演奏したんだけど、後で会報見たら"総会では学生オーケストラにより、マイスタージンガー作曲「ローエングリン」が演奏され..."って書いてあったっけ。誰だよ、それって....。
ごめん。で、「ヒナステラ」が作曲家の名前ね。アルゼンチンの作曲家だ。え、アルゼンチンにクラシック音楽なんてあったのかって?う一ん、まあそう思うのも無理ないか。だって日本のクラシック界ときたら、プロもアマもドイツ系一辺倒で、どこもかしこもベートーベンやらブラームスやらマーラーばっかり。こんな辺境の作曲家に目を向けるなんて、よっぽどひねくれたオケだよね(意欲的と言ってほしいんだけど)。でもアルゼンチンだからって「じゃあきっとタンゴのような、哀愁ただよう音楽なんでしよう」とか言うなよな。そういうのを「短絡的発想」つて言うんだぜ。じやあなにかい?ラヴェルはフランスの作曲家だから「シャンソンみたいな曲でしょう」とか、武満は日本の作曲家だから「盆踊りみたいな曲でしょう」とか思うのか?(ま、伊福部だったら当たりなんだけどさ)。
「エスタンシア」ってのは南米の、牛を放牧してる広ーい牧場のことで、要するにそこの奴らの色恋沙汰をバレエにしたってわけだ。んでもって、そっから次の四曲を組曲にしたってこった。
1.農園で働く人々 2.小麦の踊り 3.大牧場の牛追い人 4.終曲の踊り(マランボ)
最後のマランボってのは、ガウチョ(アルゼンチン版カウボーイ)の音楽でさ、タンゴが都会の音楽なのに対してこっちは田舎バリバリの民族音楽なんだ。ま、曲はみんな聴けばわかるよ。楽しくてド派手な、すげーわかりやすい曲だから。この演奏会の後、聴きに来てくれたオケ関係者が「うちでも」「うちでも」と演奏会に取り上げて、「エスタンシア・ブーム」が起こることは確実だね。でもマジで、普通のレパートリーとしてもっと演奏されてもいい曲だよ、絶対。
え、この間N響がやってた?やるじやん、N響も。それに吹奏楽の世界じゃけっこう有名だって?そうだよなあ、なんたってブラスの奴らときたら、オリジナルだととんでもねえ曲を平気でブラスに編曲してやっちゃうもんなあ。ハチャトゥリャンの3番とかさ。うー、俺もハチャ3やりてー。
#まじめな解説は暇があったら書きます....(^^;)
↓で、とりあえず書いてみました。
1916年4月11日、ブエノスアイレス生まれ。日本風に言うと大正5年生まれの辰年です。おひつじ座、動物占いだと「サル」になりますね。「サル」のキャラクターは、なになに、「小銭にこだわる」「おだてにメチャメチャ弱い」「イベント、祭り好き」「手先が器用で人の真似がうまい」「でも真似だけじゃなくてクリエーターも多い」。うーむ、何となくわかるような気も....(笑)。
ヒナステラは、アルゼンチン(というか、ラテンアメリカ)の作曲界ではかなりの重鎮、大御所としての位置を占める人です。国立音楽院をはじめいくつかの音楽学校で教鞭を執り、いろいろな音楽組織に名を連ね、数々の賞を受賞してきました。「ピアソラの先生」という言い方をすれば、なんとなくピントくる人も多いのではないでしょうか。
作風ですが、「エスタンシア」のような曲をいっぱい作っているというわけではありません。この人の作風を簡単に言うと、「若い頃は民族主義的なわかりやすい曲を書き、年を取るにつれてどんどん難解な作風になっていく」とでも言えるでしょうか。これを三つの時代に分け、1.「客観的国民楽派(Objective Nationalism)」→2.「主観的国民楽派(Subjective Nationalism)」→3.「新表現主義(Neo-Expressionism)」と呼んだりしています。すごく雑に言うと、1.は作品番号10番台まで、2.は作品番号20番台、3.はそれ以降、というのを目安にできるでしょう(ほんとはちょっとずれてますが)。
1.の時代は「客観的」、ようするに「誰がどう見たって民族主義的」ってことですね。アルゼンチンの民族的な主題(例えば「ガウチョ」とか「クリオール」とか)を扱ったりその音楽的な要素を作品に取り入れたりしています。もちろんこのホームページで扱っている「エスタンシア Op.8」はバリバリこの時代の代表作ということになります。この時代の曲は他にも「パナンビ(蝶) Op.1」とか「南米のファウスト序曲 Op.9」とかありますが、はっきり言って、管弦楽曲は「エスタンシア」以外はあんまし面白くありません(^^;)。でも「アルゼンチン舞曲 Op.2」などのピアノ曲とかはけっこう聞きやすくて健闘しているんじゃないかな。この時期の曲、よくストラヴィンスキーやバルトークとの類似性が指摘されますが、「パクリ」と言わずに「影響を受けた」と言うとポジティブな印象ですね(笑)。でも「南米のファウスト」なんて、どっちかというと伊福部の東宝映画音楽っぽいぞ(そういえば、ヒナステラのことを「アルゼンチンの伊福部昭」というのも聞いたことがあります。この時期の民族主義的な立場と、母国における大御所としての指導者的地位、またオスティナートにより盛り上げる曲作りなど、たしかに共通する部分は多いかもしれませんね)。
それから2.の時代になると、比較的わかりやすい音楽の中に刺激的な要素の加わった、緊張感のある超かっこいい作品が生み出されています。その中でも「ハープ協奏曲 Op.25」は「エスタンシア」と並んでヒナステラの最高傑作といえる代表曲でしょう。「ヒナステラと言えばこの曲」って人も多いのではないでしょうか。その他、三つの「パンペアナ(第1番 Op.16: Vn&Pf、第2番 Op.21: Vc&Pf、第3番 Op.24: 管弦楽)」や「ピアノソナタ第1番 Op.22」などもお勧めです。
で、3.の時代以降は12音とかも使いだし、旋律ははっきりしないけど弦楽器が「ヒ〜」とやって打楽器が「ドッシャ〜ン」とやったりするような、「いかにも現代音楽」って感じになっていきます。でも「ピアノ協奏曲第1番 Op.28」あたりだとそんなに難解っぽくはなくて、特に終楽章なんか「うおお、無茶苦茶かっこえー!」って思えるような名曲だと思います(ちなみにこの曲はロックに編曲され有名だとのこと)。それが例えば「ヴァイオリン協奏曲 Op.30」あたりになると、既に旋律もはっきりせず、かなり「よくわからん」という印象を与えます(でもこんなに打楽器が活躍するVn協もなかなかないぞ^^)。この時期の曲は、こっち系の曲に慣れ親しんでいる人じゃないとちょっとつらいかも。でもどの曲も打楽器は炸裂してますので、打楽器奏者にはお勧めです(^^)。また、この辺の曲を「エスタンシア」とくらべると、同じ作曲家の作品とは思えないほど作風が違っているのがわかって興味深いですね。なお、この時期には「ボマルツォ Op.34」という、セックスシーン付きというセンセーショナルなオペラもあるらしいのですが、残念ながら録音が出ていません。うーむ、聴いてみたい。
お亡くなりになったのは1983年7月25日、ジュネーブにて。67歳でした。
<関連リンク:ヒナステラについてもっと知りたい人のために!> | |
Alberto Ginastera (@Fundacion Ostinato):たぶん一番詳しくてヒナステラのことならほぼ何でもわかりますが、ぜんぶ英語です。 | |
Alberto Ginastera (@20th Century Music):ヒナステラの各年代における説明と代表曲を簡潔に紹介。やはり英語。 | |
Alberto Ginasteraについて (@おけらのたはこと):日本語によるヒナステラ年表があります。 | |
アルベルト・ヒナステラについて(@京恋のあんみつ邸):ヒナステラの作風の変遷や各時代の特徴など、日本語による本格的解説。 |
さて、前述の通り、この「エスタンシア」はヒナステラがまだ若い頃、国民楽派としてアルゼンチン民族主義に燃えて作曲していた時代の作品です。このバレエはアメリカン・バレエ・キャラバン(コープランドの「ビリー・ザ・キッド」で有名)からの依頼によって1941年に作曲されました(なんと25歳の時の作品ということになりますね)。ヒナステラは自らパンパ(アルゼンチンの田舎の大草原)に行って、そこのガウチョの生活を題材にしたこの曲を書き上げました。しかし、初演の前にいきなりこのバレエ団が解散してしまい、曲もお蔵入りとなってしまいました。なので、まずバレエから四曲を取って演奏会用組曲にして、これが先に初演されました。これが今でもよく聞かれる組曲版(Danzas del Ballet "Estancia" Op.8a)です。初演のデータは、1943年5月12日、ブエノスアイレスのコロン劇場にて、指揮はFerruccio Calesioです。ヒナステラはこの曲の大成功によって、南米の音楽界で一躍有名になるのでした。
バレエ全曲としての上演は、はるかに遅れて1952年8月19日、コロン劇場にてMichael Borowski振り付けによって初演されました。しかし現在までこの全曲版が上演されたり演奏されたりする機会は非常に稀であり、1998年のGisele Ben-Dorによる世界初録音によって、ようやく世に知られるようになった、という感じです。で、そのストーリーですが、このバレエには大きく三つの軸があると言えます。それは、1.エスタンシア(農園)の一日の様子、2.田舎娘と都会野郎のラブストーリー、3.叙事詩「マルティン・フィエロ」からの引用、です。
・エスタンシア(農園)の一日の様子
アルゼンチンの田舎に広がる大農園エスタンシア。この農園の風景と、そこで働く人々、特にガウチョの一日の様子を、時間軸に沿って表現していきます。バレエは全一幕の五場からなっていますが、それぞれの場は、
第一場 「夜明け」 | |
第二場 「朝」 | |
第三場 「昼」 | |
第四場 「夜」 | |
第五場 「夜明け」 |
のような構成になっています。このスケジュールの中で、夜が明け、仕事が始まり、働き、眠りにつき、再び夜が明ける、という農園の一日が描かれます。
・田舎娘と都会野郎のラブストーリー
で、この一日の間の出来事として、この恋のエピソードが挿入されます。都会の若者がこの田舎の農園に来て、そこで田舎の娘に一目惚れしてしまいますが、娘は「おらぁ都会のヤヅなんて好きになれねぇだ」と振ってしまいます。しかしその後、都会の若者がこの農場の馬を乗りこなして鎮め、「どうだいベイビー、ボクの腕前だってなかなかのもんだろう?」と誇って見せたところ、娘は「あんや、都会のヤヅもながながやるでねぇが。おらぁ惚れちまっだがもスんねぇ」となって結ばれる、という、まあ言ってみりゃあ他愛のない話なんですけどね(^^;)。
・叙事詩「マルティン・フィエロ」からの引用
「マルティン・フィエロ(Martin Fierro)」というのは、ホセ・エルナンデス(Jose Hernandez)という人が1872年(第一部)/78年(第二部)に書いた叙事詩で、「アルゼンチンの聖書」とまで言われています。アルゼンチンではみな子どもの頃に学校でこの話を習うので、知らない人はいないそうです(全曲版を録音した指揮者Ben-Dorも、ウルグアイ出身ですが、子どもの頃にこの詩を暗唱させられたとのこと)。物語は、農園で平和に暮らしていたある一人のガウチョが、いきなり国境警備隊に連れて行かれ、そこから拷問やらケンカやら殺人やらと波乱の人生を歩み、最後は生き別れた息子たちと再会するが、ガウチョは息子たちに人生の教えを諭してまた別れていく、という大河ドラマになっています。こうした物語が、「パジャドール」と呼ばれるガウチョの吟遊詩人によって語られていきます。
で、バレエ「エスタンシア」におけるこの「マルティン・フィエロ」の物語ですが、実はストーリーの本筋とはまるっきり何の関係もありません。しかし、エスタンシアでのガウチョの生活を描写するために、そしておそらくこのバレエに民族主義的な性格をより強く与えるため、この「マルティン・フィエロ」からの詩の直接の引用が、ある時はナレーションで、ある時はバリトンの唄によって、語られるのです。ま、あえて例えて言うなら、例えば日本で鎌倉時代の武士を題材にした芝居を作るとき、ストーリーとは直接関係ないけど平家物語から「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり....」と引用するようなもの、かな?(うーむ、全然違うような気もするけど^^;)。
ということで、以下曲順に全曲を追っていきましょう。なお「マルティン・フィエロ」からの引用の訳(茶色の字)は、大林文彦・玉井禮一郎 訳:『マルティン・フィエロ(パンパスの吟遊ガウチョ)』(1981、たまいらぼ発行、0098-50014-4479)によります。また、それぞれの場に書かれた解説(青の太字)は、ピアノ版全曲スコアの序文(サマリー)から引用したものです(磯村訳)。
●第一場 [Cuadro I] :夜明け [El Amanecer]
パンパの「エスタンシア(農園)」に夜明けがくる。鳥の群れがすぎていく。牛たちは遠くへと動いていく。農民たちは毎日の仕事に取りかかる。一人の都会の若者がやって来るが、農園での仕事に慣れていないのがすぐにわかる。彼は田舎娘に恋をするが、娘は若者を軽蔑し、相手にしない。
1.導入と情景 [Introduccion y Escena]
組曲版I曲目の出だしでおなじみの旋律で始まりますが、すぐに静まり、まだ暗いエスタンシアの様子を描写します。物語の始まり、始まり。ギターの開放弦の和音をまねたピアノに乗って、ナレーションが「マルティン・フィエロ」の一節を引用します。
<Narr> |
ギターにおもいこめながら これから唄ってきかせたい そんじょそこらにない苦労 夜も眠られないものは 孤独な鳥のまねをして 唄でおのれを慰める (第1節) |
わが同胞(はらから)の住みついた 勝手知ったるこの土地に 板小屋なんぞこしらえて 子どもや女房とむつまじく 無事に月日を過すのは じつに楽しいことだった (第23節) |
2.小舞曲 [Pequena Danza] (→ピアノ独奏版/ギター二重奏版あり)
エスタンシアにやがて夜明けが来ます。音楽的には、組曲版IV曲目の「マランボ」の前半部分が独立したような感じの曲ですね。「あれ、これで終わりかい?」というあっけない感じもしますが、まあ物語は始まったばかりですから。この後、ナレーションがまた「マルティン・フィエロ」の一節を語り、早朝の労働に備えるガウチョを描写します。
<Narr> |
さてさて明けの明星が ようやくまたたきはじめると 雄鶏(おんどり)どもがかしましく 朝の到来告げるのだ そのころわしは台所・・・・・・ 楽しい日々であったのだ (第24節) |
かまどのそばにどっかりと 腰をおろして朝を待ち 腹いっぱいになるほどに すするマテ茶のほろ苦さ 女房(チーナ)は毛布(ポンチョ)を巻きつけて スヤスヤ寝息をたてていた (第25節) |
●第二場 [Cuadro II] :朝 [La manana]
農場。背景には、干し草の山、風車、そして小屋。太陽の明るい輝きは、この後に続くすべての場を通してその存在を主張する。農民たちは小麦の刈り取りをする。「ガウチョ」たちは田舎娘とともに、荒くれた馬を手なずける。
遠くでは、観光客を乗せた馬車が到着する。彼らは風景を見て、コメントを言いながら写真を撮るが、やがて慣れない不便さに疲れきって帰っていく。
3.小麦の踊り [Danza del trigo] (→組曲版II曲目)
ここから組曲版でおなじみの曲が三曲続きます。フルートや弦楽器により、エスタンシアのまだ静かな朝の様子を描いています。曲は次第に盛り上がっていき、日が昇り、もうじき農園の朝の仕事が始まることを表します。ここでもう一度「マルティン・フィエロ」が引用され、朝が来て仕事にとりかかるガウチョの詩が読まれます。
<Narr> |
そしてしだいに明るんで 朝焼け、空に映(は)えるころ 野鳥の歌も流れ出す 雌鶏(めんどり)たちも止まり木を 降(お)りはじめるとわしたちも 仕事にかかったものだった (第26節) |
4.農園で働く人々[Los trabajadores agricolas] (→組曲版I曲目)
さて、仕事が始まりました。エスタンシアは活気にあふれます。
5.大牧場の牛追い人 [Los peones de hacienda];子馬の入場 [Entrada de los caballitos] (→組曲版III曲目)
ガウチョたちの仕事は、馬に乗って牛を追うことです。広大な牧場を馬に乗って駆けながら勇ましく牛を操っていくガウチョたちの働きぶりが、Timpのソロによって表されます。
6.町の人々 [Los puebleros]
町の人々が農園にやって来ました。音楽は全体的になんとなくヒンデミットっぽい?あるいはドラクエIIIの「幽霊船」の音楽にも似てるかな(笑)?不協和音の短く細かい音符が都会の人たちのおしゃべりを暗示しているようです(リヒャルトの「英雄の生涯」にもそんなのあったっけ)。
●第三場 [Cuadro III] :昼 [La tarde]
夕暮れ。悲しみの歌が歌われる。都会の若者は田舎の娘に愛を告白するが、娘はこれに応えない。そのとき突然、荒くれた馬が舞台に現れる。若者は勇気を出してその馬をしずめる。これを見た娘は、賞賛のまなざしを若者に向ける。次第に暗くなり、若い二人は甘いロマンスを分かち合う。
7.パンパ風トリステ(悲歌)[Triste pampeano]
都会の若者は田舎の娘を見て一目惚れしてしまいますが、若者は娘に振られます。その悲しみに通じる「マルティン・フィエロ」の詩の節が、バリトンの独唱によってオペラのアリア風に唄われます。イタリアやスペインの歌曲を思わせる、いかにもラテン、といった雰囲気ですねえ。でも歌詞の内容と「都会の若者」は全然結びつかないぞ(^^;)。
<Br> |
さあ、このへんで本題へ ぼちぼちはいることにする わしの経(へ)てきた一生は 重い鎖(くさり)のようなもの 虐(しいた)げられた魂は なにか唄ってみたいのだ (第156節) |
はなしがそんなふうなので ギターの音色(ねいろ)も沈みがち たのしいはなしはないわけだ 悲しいはなしになるばかり この世に生まれて棲みついて 老いてやがては死ぬわけだ (第423節) |
8.ロデオ [La doma]
こちらはいかにもコープランドっぽい(やっぱ「ロデオ」だからか?^^;)、打楽器の活躍する変拍子の激しい音楽です。ここで都会の若者は馬を乗りこなし、なだめることに成功します。これを見た田舎の娘は若者を見直します。
9.黄昏の牧歌 [Idilio crepuscular] (→ギター二重奏版あり)
弦楽器が主体の静かで美しい、もの悲しい感じの音楽。組曲の印象からはだいぶ雰囲気の違う、「エスタンシアにこんな曲もあったのか」と思わされる曲です。この曲が組曲に入っていたら、弦楽器の人もある程度納得してくれたでしょうに....。エスタンシアも次第に日が落ち、夕焼けに染まっていきます。ロマンチックな雰囲気の中、都会の若者と田舎の娘がラブラブなシーンを演じます。
●第四場 [Cuadro IV] :夜 [La Noche]
空には無数の星。悲しげな歌が遠くから聞こえてくる。夜が来て、すべての物が星のとばりで覆われる。
10.夜想曲 [Nocturno]
すっかり暗くなり、人も動物も眠り、エスタンシアに静かな夜が訪れます。弦楽器の静かな和音にのせて時折聴かれる木管のフレーズは、虫の声か、夜行性の動物か、はたまたガウチョたちのイビキでしょうか?やがてバリトンが静かに「マルティン・フィエロ」の一節を唄い出します。
<Br> |
仔どもの羊はその親に まつわりついて鳴いている 杭(くい)につないだウシの仔は 遠ざかりゆく親をよぶ しかし哀れなガウチョには 泣きついていくひともねえ (第245節) |
●第五場 [Cuadro V] :夜明け
[El Amanecer]
新しい一日が始まる。エスタンシアでは全てのことが、最初と同じように繰り返される。農場の男たち、女たちは全員で踊りを踊り、愛の喜びを祝福する。
11.情景 [Escena]
エスタンシアに再び朝が来ます。ゆっくりとしたテンポに変形された冒頭の主題が夜明けにあわせてプロコフィエフ風に盛り上がった後、フルートのソロによって朝の鳥の歌が歌われます。
12.終幕の踊り(マランボ) [Danza final (Malambo)] (→組曲版IV曲目)
最後は皆でこの「マランボ」を踊ります。「マランボ」はアルゼンチンの田舎を代表する民族音楽で、男がその強さを誇示する踊り。ガウチョたちは太鼓のリズムにあわせて、馬の足の動きをまねた「サパテオ」(足さばき)を競い合います。なぜ朝起きたばかりなのにこんな激しい曲を踊るか?というのは抜きにしましょう(^^;)。曲は興奮と熱狂の中クライマックスを迎え、幕となります。うーむ、やっぱいい曲だなあ。
●編成(組曲版)と各楽器への主観的コメント:打楽器の項がやたら多いのは、当然私が打楽器奏者だからです。
Piccolo, Flute(Piccolo 2), 2 Oboes, 2 Clarinets in B flat, 2 Bassoons |
4 Horns in F, 2 Trumpets in C |
Timpani(Piccolo Timp), Triangle, Tambourine, Castanets, Side Drum, Tenor Drum, Cymbals, Bass Drum, Tam-Tam, Xylophone |
Piano, Strings |
【余計なコメント(特に、アマオケでこの曲を取り上げるために)】
この曲を聴いた印象からは想像もできない地味な編成ですね。二管編成で、トロンボーンとチューバは無しです。アマオケなどでやろうと思うときは、この「トロンボーン無し」がネックになって落ちてしまうときもあるでしょうが、逆に「編成的にはあまり問題がない」というのを理由にして推すことも可能でしょう。
木管:ピッコロが2本必要です。また、ピッコロとクラリネットにフラッターが出てきます。
金管:前述の通り、ホルン4本とペット2本のみです。ただし、この本数だけだとやはりかなりつらいようで、アシを足すことも多いようです。両者ともかなり体力的、技術的に高いレベルが必要です(プロオケの録音ですらヘロヘロになってこともあるぐらいだからね)。
打楽器:この曲はまさに打楽器の天下だ!どのパートをとってみても活躍できて、おいしいです。人数は8人必要です(無理をすれば一人ぐらい減らせるかも)。ティンパニはこの曲の主役、III曲目には旋律のドソロがあります。終曲では上のCが出てくるので、Piccolo Timpが必要です。その次においしいのは木琴かな。マランボの最後に延々と旋律を叩き続けるのですが、途中にグリッサンドがバシバシ入るのでかなり難しいです。特にこのグリッサンド、黒鍵で始まって黒鍵で終わる(でも調はC-dur)という、演奏不可能に近い代物(特にテンポによっては)なので、どこまでできるかに挑戦、という感じです。大太鼓もかっこいいですが、けっこうリズムができてない録音がありますので難しいのかも(特にI曲目)。中太鼓は響き線がある録音と無い録音がありますが、I曲目の途中の小太鼓にある「響き線OFF」の指定が中太鼓にはないことを考えると、響き線なしの楽器で演奏するべきだと思います(ちなみに、この小太鼓の指定も見落として演奏している録音はたくさんあります。小太鼓、中太鼓、大太鼓が響き線OFFでフェルトのバチで叩くアンサンブルはI曲目の聴かせどころ。忘れないようにしましょう)。タンバリンはずっと微妙なリズムを刻みっぱなしで大変なのに加え、親指ロールが上手にできるひとじゃないと苦しいです。Tri、Cast、Tamの出番は少ないので、トラにまわすとしたらこのあたりでしょうか。でも出番が少ないだけでどのパートも目立ちます。Tam(銅鑼)は最後に一発だけ、pからsfffへの怒濤のクレッシェンドをやって終わりです。かっこいー。なお、私でよければ喜んでタダトラに行きます(爆)。
弦楽器:リズムを刻むのが主な役割で、一般の管弦楽曲に比べると旋律はほとんどありません(ちなみに、マランボの最後に所々挿入されるホルンとトランペットの旋律の部分、実はチェロも同じ旋律を弾いているのですが、まず聞こえません。不毛〜!)。終曲では同じリズムを延々と刻み続けるので、トランス状態になれるそうです。まあ、こういう曲を弦の人が楽しいと思ってくれるかどうかに、けっこうオケの性格が現れると思います。ただ逆に、ほかのプログラムが重いときなど、「弦の負担が少ない」という理由で推すこともできるでしょう。コンマスに一瞬だけソロあり(II曲目)。
その他の特殊楽器:ピアノあり、ハープはなし、です。ピアノは出番も多く、かなり重要です。
スコア(組曲版):Boosey & Hawkesから出ています。ロンドンで買ったら£15.50でした。日本のヤマハあたりで買うと4000〜5000円ぐらいするらしいです。
パート譜:組曲版、全曲版、吹奏楽編曲版ともに「日本ショット」で扱っています(TEL:03-3263-6530/FAX:03-3263-6672)
ピアノ譜:全曲版のピアノ譜が、やはりBoosey & Hawkesから出ています。そのほか、「小舞曲」のピアノ譜やZareteのギター編曲版も扱っているようです。